2019年1月21日月曜日

Lazar Berman(ラザール・ベルマン)/ リストの再来



Lazar Berman(ラザールまたはラーザリ・ベルマン)
というピアニストをご存知でしょうか?

ワタクシがベルマンの演奏を
初めて聴いたのは

高校2年生の時に
彼の来日リサイタルを
NHKで放映した時です。

その時のプログラム
覚えている限りで並べてみると

・Schumann  『ピアノソナタ第2番』
・Liszt     『巡礼の年第2年』より
         「婚礼」「ダンテを読んで」
・Wagner-Liszt 『トリスタンとイゾルデ』より
         「イゾルデの愛の死」

などだったと思います(違っていたらすみません!)
https://youtu.be/jIjoPC_rWg8←詳しくはこちら



音を聴く前に
まずは
彼の風貌に惹きつけられます。

ギリシャ彫刻のように
掘りの深い顔立ちに
髭を蓄えて
髪をオールバックにして
後ろでちょこんと結んでいました。

目がギョロっとして
時々
虚空を見つめます。

装甲車の様に
ガタイが良く
彼の分厚い手のひらから出される音は
鋼鉄の塊みたいな
ずっしりと重い音でした。

とにかく当時は
その音の重さに衝撃を受けました。

ロマン派の
ピアノ曲を演奏する為に
生まれて来たと言っても
過言じゃありません!



演奏中は表情をあまり変えませんが

LisztSchumannの
跳躍が多く速いパッセージを
必死に追う姿勢と

ペダルによる音の余韻に
耳を傾けよく感じて弾く

というスタイルに
感銘を受けたのを
今でもはっきりと覚えています。

不思議な事に

サスティーンペダルで延ばしている音が
後からうねるのです!



あとは何と言っても
音楽に対して
真摯に
全身全霊をかけて取り組んでいるのが
演奏から強く感じ取ることが出来ました。



ベルマン
旧ソ連のピアニストで

リヒテルからも指導を受け

若いころには
ブダペスト国際音楽コンクールに優勝して
「リストの再来」
と呼ばれていたそうです。



40才を過ぎて
アメリカで大成功を収めるまでは
ソ連当局に厳しく管理束縛されて
国外にはあまり知られていませんでした。

ユダヤ人(反体制的で国外逃亡をする)
ということで
演奏活動も規制されて

アメリカの鮮烈なデビューまでは
「幻のピアニスト」
と呼ばれていました。

ただ彼は
10年以上にわたる不遇の期間も
狭いアパートの中で
ほぼ外出もせずに
めげずに勉強をし続けたそうです。



ソ連の同世代のピアニストである
アシュケナージは若いうちにイギリスに亡命して
活動域をどんどん広げていきましたが、

ベルマン
1990年になって
漸くイタリアに移住したそうです。



当時のソ連の体制の中にあっては、
芸術家にとって
「表現の自由を奪われる」という
最大の苦痛から逃れようと
海外に逃れるのは
必然の事だったのではないでしょうか?

彼の様な
類稀(たぐいまれ)なヴィルトオーゾ
育て上げたのも、

また逆に彼の演奏活動を厳しく規制したのも

ソ連時代の社会主義体制だったというのは
何とも皮肉な事で
複雑な気持ちにさせられます。

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