2019年2月2日土曜日

『音楽の癒しのちから』/ 日野原重明と音楽



故・日野原重明先生の事は

メディアなどによく出ていたので
知っていたし

とても立派な生き方をされていて
尊敬もしていました。

20年ほど前に買って
斜め読み程度しかせず
置きっぱなしにしていた
この本、

昨晩
何となく目に入ったので
本棚から引っ張り出して
読んでみました。

何故あの時ちゃんと読まなかったのだろう
と深く後悔しました(-_-;)

そうしたら
自分の人生も幾分か変わっていたのだろうな
とも思いました。



【日野原先生の半生】


というのも
日野原先生が
まだご存命で
90才を過ぎた頃

テレビに出られていて
「これからフルートを始めて演奏会を開く」
と言っておられたのを見て、

90過ぎてから色んな事にチャレンジする姿に
敬服し勇気をもらいましたが

内心、
「まぁ、趣味程度の事でしょ。」
と不敬にも
タカをくくっていました。



ところが

この本
『音楽の癒しのちから』
に書かれている

日野原先生の
音楽にまつわる人生を読んで
感動したし、驚く事も多かったのです!



日野原先生は明治生まれで

しかも
プロテスタントの牧師の家庭に育った
という事もあり

物心つくころから
音楽に親しみ、

身体が弱かったせいもあり

当時の男子としては珍しく
小学校の時分より
外で遊ぶ代わりに
ピアノを習い

京大医学部の頃には

ピアノの先生から
医学部をやめて
アメリカの音大を勧められるほどの
腕前だったそうです。

アメリカにはいかずに
医者の道を進みますが・・・



何故かこういう人には
”巡り合わせ”というのがあるのでしょう!

作曲家の山田耕筰
最期を看取る時の
主治医になったそうです。

山田耕筰

自分の教え子と結婚するために
前妻と離婚した話や

脳梗塞で半身不随になって
その状態でも作曲を精力的に続けていた

という話も書いてあり、

初めて知ることばかりで
驚きました。



【日野原先生の音楽に対する思い】


そして何といっても

日野原先生の
音楽に対する
深い思いや考えに
共感しました。



序文の一部を引用しますと、

『私は、現代医学ではもはや手立てのない癌末期患者の痛みを和(なご)め、生きるエネルギーを与えるような、心の糧としての音楽が、近代医学をも救う手立てとして大切な役割を演じることを、だんだんと理解するようになってきた。七十歳にもなった私の心に、音楽を医療に適応しようという燃え上がる願いが、私のドライビング・フォースとなって私は八十五歳を超えた今もなお、激しく毎日の歩みを続けている。
 昔は、音楽は私の趣味の一つであると思っていたが、今では音楽は、病む者への癒しの技として大切な役を演じていることを痛感する次第である。』



少々引用が長くなりましたが、
「40才を超えてもう年になってきたな」
などと言っている自分が恥ずかしいです。

自分にはまだまだやるべき事がたくさんあるのだと
痛感しました。



また
本文では
ドビュッシーと詩人の関係にも触れていて

音楽と詩との関係性について
日野原先生が学生時代に書かれた文章も載せてあり、

『詩は散文の如き空間的な拡がりをもたず、散文的に客体を説明し、描写することを知らない。詩は自らを掲示する魂そのものであり、時間の中に絶えず流動し、停止することを知らない美そのものである。詩は、音楽は、未だ発展しない、解決しないモチーフを自らの中に秘めるもの故に、美しく尊い。云々』



などと書かれていて
共感しました。

自分の魂と日野原先生の魂が
合致した感覚になりました。

私が20代の頃、
音楽について深く悩み考え

いろいろな書物を読み漁(あさ)ったり
あたり構わず芸術作品に触れに出かけたりした事

を思い出したりもしました。



【後記】


この本は
日野原先生の音楽人生の他にも



終末医療

音楽療法
についても書かれています

アメリカでの音楽療法のあり方
シュタイナー教育でのあり方

など
様々な角度からの概論が述べられています。



また
桐朋学園で
音楽療法の講座を持たれていたそうですが

当時の学長の
故・三善晃先生との話も興味深いです。



昨日から読み始めて
まだ読んでいる途中ですが

一つ一つの言葉が
インスピレーションを含んでいます。



「音楽とは何か?」

という
シンプルだけど深い
太古からの命題についても考えさせられます。



これから読み進んでいって
果たしてどんな変化が自分に起こるのかが
非常に楽しみです!



恐らく

今が自分にとってこの本を読む
”時”
だったのだ

とも思います。



暫くは手元に置いて置きたい本です。

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