若き太宰治が
文壇に出るきっかけとなった
小説集
”晩年”の中から
『葉』
という小説を久しぶりに読みました。
処女小説集にして
”晩年”
というタイトルに驚きを禁じ得ませんが、
28歳の時に出版された
この小説集が
唯一の遺著になるであろう
という思いがあっての事だそうです。
【小説『葉』の構成】
この『葉』という小説は
太宰が過去に書いた
作品の断片や
ヴェルレーヌなどといった
詩人の作品の引用を
コラージュの様に
つなぎ合わせて
構成されています。
それぞれの作品や引用同士の
関連性は全くありません。
パッチワークの様に
継ぎはぎに出来ています。
なので
初めて読むと
それぞれの作品の断片同士の
関連を探ろうと苦慮しますが
何だか
意味が解らず
読み進んでいくうちに
「ああ、なるほど、
こういう風に出来ているのね!」
と理解することが出来ます。
短い小説ながらも
実験的で
かなり挑戦的ともいえる作品です。
【小説『葉』の内容】
それぞれの作品の断片の内容は
太宰の私小説になっていて
「死のうと思っていた」
という
のっけから
ショッキングな文から始まり
「哀蚊(あわれが)」
という
幼いころの
自分と乳母との関係を描いた小説の一部
津軽の大地主の子として生まれた
”負い目”を背負わされた目線からの
ブルジョワに対する
プロレタリアの思想
または
日本橋で花を売る
貧しいロシア人の少女を描いた
ロシア文学への憧れ
など
他にも
いくつもの複雑な太宰自身に関わる題材が
ブツ切れに並べられています。
その合間合間に
ヴェルレーヌ
「撰ばれてあることの
恍惚と不安と
二つわれにあり」
蘇氏
「水至りて渠(きょ)なる」
ゲーテ
「メフィストフェレスは
雪のように降りしきる薔薇の花弁に
胸を頬を掌を焼き焦がされて往生した」
などの詩の一節が引用されて
これもまた乱雑に
置かれています。
以前
鎌倉文学館で
太宰の直筆の原稿を見ましたが
筆跡は
”殴り書き”
という様な感じでした。
これは津軽の風土と何か関係あるのでしょうか?
作品全体を俯瞰(ふかん)で見てみると
一見
とりとめの無い印象を受けますが、
・ロマンティシズム
・人間愛
それとは対照的な
・自殺の肯定、破滅的思考
・自虐性
・排他主義的な思想
といった
将来書かれる
「走れメロス」
「斜陽」
「人間失格」
などの小説の根幹を支える
太宰の思想の萌芽が
断片の中に見受けられます。
この小説は
太宰の世界観を
「意味」
ではなく
「感覚」
で理解することが出来ます。
小説
というよりは
詩や音楽
に近いのかも知れません。
【終わりに】
「晩年」の中からあなたは、
美しさを発見できるかどうか、
それは、あなたの自由です。
そう太宰は書いています。
この文脈から
先程のヴェルレーヌの言葉にある
自分は
”撰ばれてある”者
という自負が
どこかにあるのでしょう。
そして
読み終えた後に
”太宰ワールド”
の魅力に憑りつかれた自分がいます。
太宰作品の持つ
目に見えない力は
やはり本物です。
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